「 知識 」に関する大事な話 part1
何をするにしても、知識というものは必要です。
そんな知識についての話をしていこうと思います。
知識とは?
「知識ってなんですか?」
と聞かれたらあなたは答えられますか?
よく聞く言葉なのに、改めて聞かれると困るのではないでしょうか。
Wikipedia には以下のように書かれています。
知識(ちしき、英:knowledge、独:Wissen、仏:connaissance)とは、認識によって得られた成果、あるいは、人間や物事について抱いている考えや、技能のことである。 (出典:Wikipedia)
ふむふむ、なるほど。
わかりましたか?
正直よくわからないですよね。
わかりやすいように例を挙げてみましょうか。
「りんご」を思い浮かべてください。
と言われたら、思い浮かべるのは↓ ですよね。
9割以上の方が共通して同じ「りんご」を想像したと思います。
これが、認識によって得られた成果です。
以前にりんごを見た(認識した)ことがあることによって
知識として身に付いているのです。
このように、五感によって知覚された現象や、物事などが知識になり得ます。
りんごの皮を剥いたり、切ったりすることができるのも知識です。
こちらは技能にあたりますね。
さらには、「りんごは嫌い。食べれない。」というのも知識です。
意外ですか? 意外ですよね。
例えば、あなたがりんごを嫌いだとしたら…
それは他の人にとっては、あなたに関する知識になります。
個人の考えも受け取る側によっては知識になり得るということです。
では、最初の質問に戻りましょう。
「知識ってなんですか?」
上記をまとめると、
- 五感で感じ得ること
- 身体を動かすことによって得られた経験、体験
- 個人の所有する考え
となりますね。
すなわち、知識とは…
身の回りの全てのモノから得られるもの
です。
共通認識と知識
常識という制約
突然ですが、3つ質問をさせていただきます。
- 「1+1=2」は正しい?
- 「優先席付近で電話する」ことはいけない?
- 「ドアのノックは3回」である?
いかがですか? いわゆる常識といわれるものを挙げました。
もちろん常識なので、どれも間違ってはいません。
が、どうして正しいのか言えますか?
「1+1=2」は正しい
これ、数学科の私にとっては、かなり気持ち悪いんですね。
2進法だとすると「1+1=10」なので完全に正しいとは言い切れない。
つまるところ、定義不足なんですね。
私だけではなくて数学科の方なら共感してくれると思います。笑
でも、数学科のような限定的なコミュニティではなく、
他の大多数の方にとっては「1+1=2」はそのままで正しいんです。
何が言いたいかというと、
常識は場所によって異なる
ということです。
「優先席付近で電話する」ことはいけない
どうして優先席付近での携帯電話の使用は控えるように言われているのでしょう?
常識だから。以外の説明をできますか?
ペースメーカーに影響を与えると聞いたことがある方もいると思います。
これは2Gの周波数帯を利用していた携帯電話の電波が、
限られた条件下でペースメーカーの機器に干渉する可能性があるということです。
この2Gの周波数帯を用いた携帯電話は、2012年3月をもって完全に停波しました。
3G周波数帯以上を用いている現在は、正直使ってはいけない理由はありません。
ただ、人間には思い込みの効果も抜群です。
上記のような、干渉することはないということを知らない方にとっては
気分を害するものとなるかもしれません。
そのような点においては、使用を控えるべきです。
しかし、このように常識とされ広く一般に知られているないようであっても
それは既に過去のものとなっていることも多々あります。
常識は時代によって異なるべき
なのです
「ドアのノックは3回」である
就活マナーの記事を読むと必ずと言っていいほど出てくる「ノックは3回」
「2回はトイレ」などの言葉も見受けられます。
2回と3回の違いって何?
と、就職活動中の身でもある私は疑問に思って調べてみましたが…
出ないですね。
ドアのノックが3回でないといけない明確な根拠は探し出せませんでした。
出どころがわからない常識が常識になっている…
これってつまり
常識は言ったもん勝ち?!
以上の、3つの質問からわかる、常識の性質は
- コミュニティ(場所やメンバー)に応じて異なる
- 時代によって異なる(べきだがそうなっていない)
- 経緯がわからないものがある
ということです。
このように、
共通の認識だと思われている常識は必ずしも共通のものではありません。
また、
今日において、正しいと保障されたもでもありません。
さらには、
明確な根拠に基づくものではないこともあります。
最近、いい例がありました。
「サザエはよく知られてるから、常識的に考えて学名がついているだろう…」
そんなことありませんでした。
これと同じです。
知識を得る際には常識が足枷になってしまいがちです。
常識だと言われていること、みんなが常識だと思っていることにこそ
知識を深めるヒントが隠されているのに、
逆に、「常識」という言葉に縛られてしまう方が本当に多いです。
つまり…
私たちは、常識という共通認識によって、
知識獲得の際に大きな制約を受けてしまっているのです。
まとめ
今回のまとめです。
知識とは…
- 五感で感じ得ること
- 身体を動かすことによって得られた経験、体験
- 個人の所有する考え
のことです。
これらが知識となり得る基本の要素となります。
つまり、身の回りの全てのモノが知識となり得るのです。
知識を得る上で、常識は制約になります。
まず、常識は…
- コミュニティ(場所やメンバー)に応じて異なる
- 時代によって異なる(べきだがそうなっていない)
- 経緯がわからないものがある
という性質を持ちます。
つまり常識は、広く一般に共通の認識とは限りませんし、
どんな場合でも通用するものではありません。
知識を得る際には、是非とも常識を疑いましょう。
これらを踏まえて、part2 では
この制約のなかで、どのように知識を獲得していくのか
というところに焦点を当てていきたいと思います。
Shoki